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フィルエドワーズ 1938年 6月10日生
キラーダナを制したとんでもない子供

かつて、キラーダナ(ダナポイントの沖のブレイク)はカリフォルニア中で一番のブレイクのポイントだった。そして、一度うねりが入ると、鼻水たらした子供などは寄せ付けない、ベテランサーファーのためだけのブレイクだった。
波が大きすぎるため、サーファーはまっすぐ走り、波から逃げるしかできなかったのだ。
しかし1953年、15歳のフィルエドワーズによって全てが覆された。
彼はなみいるベテランサーファーに混じって、文字通り、キラーダナにパドルアウト。人々は彼を自殺する気かと思った位だった。しかし、彼は波に飲み込まれず、難なくゲティングアウトしたのである。そしてその日一番のビッグウェーブに見事テイクオフ、それは、波から逃げるだけのサーフィンではなく、なんとこんな少年が、カットバック、そしてピークを維持し続けたのである
ロングビーチで生まれオーシャンサイドへ
フィルエドワーズは、カリフォルニアのロングビーチで生まれた。
そこで彼はパドルボードに乗り、あたりをパドリングしていたそうである。そして、9歳の時に、オーシャンサイドに引越している。その年に彼はビーチで溺れかけ、ライフガードに助けられている。
それが悔しかったのか、その後すぐにサーフィンを始めたのである。13歳になると彼は人が作ったボードをシェイプしなおして、シェイプの練習をした。そして、オーシャンサイドのブレイクをマスターすると、ドヒニーやマリブへとサーフィンの旅に出ていった。
見ているものを感動させるサーフィン
ミッキードラがマリブからサンオノフレに越してくると、フィルと一緒にハングテン、ハードなターンやカットバック、と言った今まではやらなかった技をマスターしていった。まさに、サーフィンに芸術性を求めたのは、この二人が始めてであった。中でも二人きりのトラッセルズは見ている者を感動させた
ハイスクール時代すでにHOBIEに才能を見抜かれる
高校生になると、フィルはHOBIE ALTERとコンタクトを取るようになった。HOBIEは彼の才能をいち早く見抜き、彼にキャリアを積ませた。
そして1959年からHOBIEでボードをシェイプするようになった。
この年に公開されたハリウッド映画ギジットのおかげで、サーフィンは一般的なスポーツと認められ、ボードのオーダーもどんどん増えていった
パイプラインを開拓初のパイプライナー
フィルは1955年に17歳で始めてハワイに行っている。実はその時フィルはビッグウエーブにあまり興味をもっていなかった。マカハ、ワイメア、サンセットと言ったポイントはカリフォルニアから来たサーファーが開拓していたが、その中で波が大きすぎて、入るのをタブーとされていたポイントがあった・・・パイプラインだ。もし入る者がいれば自殺行為と思われただろう。
1961年そのタブーは彼の手によって破られた。その模様はブルースブラウンの映画、サーフィン・ハロー・デイズの中に収められている。彼は難なくパイプラインを制したのである。そう、パイプラインに始めて入った伝説の男なのである。
この後、こぞってパイプラインに入るサーファーが増えていったが、だれもフィルのようには乗れなかった。
ベストサーファースポイラ誌の表紙に
ブルースブラウンやバドブラウンのおかげでフィルのうわさは瞬く間に世界に広まった。そして、彼は世界中でベストサーファーと言われるようになったのだ。
当然、雑誌や映画などで彼が紹介されると世界中のサーファーは彼のスムースで、パワフルなスタイルにあこがれるようになっていった。
1963年の第一回サーファーマガジンのベストサーファー投票でも見事1位を獲得している。また、スポーツイラストレイテッドというアメリカの有名なスポーツ誌の表誌を飾った、ただ一人のサーファーである。このことからもわかるように、サーファー以外のスポーツ界でも、彼は一般的なアスリートとして認められていた。
フィルモデルと共に世界初のプロサーファー誕生。
1963年HOBIEから初のシグネチャーモデルである、フィルエドワーズモデルを発表。この時代には破格の1本につき、23ドルを受け取ることになり、世界で初のプロサーファーの誕生になった。
自分のスタイルを変えようとはしなかった
1960年代中頃彼はHOBIEチームで大活躍していたが、1967年頃からのだんだんボードが短くなっていった、いわゆるショートボード革命以降、ロングボードで名を馳せたサーファー達が、ショートボードに乗るようになったが、フィルだけは頑ななまでにショートには手を出さなかった。自分のスタイルを変えようとしなかったのだ。そして1969年フィルは突然サーフィンから遠ざかってしまった。ショートボードに納得がいかなかったのだ。
90年代復活
それから20年、ロングボードが復活し、再びサーフィンのカテゴリーとして認知されるようになると、人々はやはりフィルを忘れてはいなかった。そう、サーファー達の強い要望により、長い沈黙を破り、フィルはシェイパーとして復活を遂げたのだ。

そして現在
1990代、フィルモデルは再び蘇った。しかし、現在、彼は目が悪く、もうシェイプできない体になってしまった。
それを受け継いでいるのが、フィルモデルのプロダクションシェイパーであった、テリーマーチンであり、マークジョンソンなのである。そして彼らによって現在もフィルモデルは守られ引き継がれており多くのサーファーに愛され続けているのである。

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