 |
|
発明家HOBIE ALTER
初期のフォームボードこぼれ話〜クラークフォーム社誕生〜
2005年12月 クラークフォーム社廃業 |
発明家HOBIE ALTERフォーム開発
1954年2月の金曜日の夜、一人の材料屋のセールスマンKent
Doolittleが、ショップに入ってきて、一握りの塊を見せた。それはフォームの固まったものだった。それまでのスタイロフォームは柔らかすぎて、ボード造りに不向きなことはすでに知られていた。HOBIEは確信を持った。
この強固な新素材ならきっと削りやすいはずだ。
これこそバルサに取って代わる未来のサーフボード素材。
まさにこれは奇跡の素材だ。
だが実際フォームの開発は思った以上に困難を極めた。そこでHOBIEが組んだのは、グラッビーこと、ゴードンクラーク。
当時ゴードンはHOBIEの工場でグラッシングを担当していた。頭のいい男で、大学で化学を専攻していたのである。
そんな彼が、HOBIEがフォームと格闘しているところを見て、
「お金は要らないから、フォームの開発を手伝わさせてくれ、なんで俺にやらせてくれないんだ」とHOBIEに申し入れたのである。
2人はラグーナの秘密の部屋で、フォームの開発に明け暮れた。フォームの素材、硬さや、大きさを色々試して試行錯誤が続き、ベリーボードのモールドを使い何度も何度も試してみた。
1958年6月ラテックス社から出た素材によって、ボードを造るに足りる量の、上質なフォームが完成した。
この時期、それぞれのチームが、それぞれの方向に向かってフォーム開発に取り組んでいた。実は、デイブスイートはHOBIEよりも先にフォームボードを完成させていたのだが、結局HOBIEの方向性が正しかった。それから約半世紀経つ今でも、HOBIEが開発したフォームが一般に使用されているのだから。
この成功はバルサからフォームへとボードの素材革命をもたらせただけではなく、サーフィン業界の産業化を推し進める結果となった。当時の様子をサーファーズジャーナルの編集をしていた、スティーブぺズマンはこう語っている。
「あのころHOBIEのショップを覗くと、彼が発明したさまざまな機械が並んでいたものだよ。彼は優れた、ボードデザイナーでもあり、発明家でもあった。彼が作り出したボードはどれも一級品。彼の質へのこだわりは執拗なものがあったよ」 |
|
初期のフォームボードこぼれ話 当時にボードはクロスに濃い目のピグメントを加えてカラーリングしているボードが多く見られた。初期のフォームは気泡が多く目立ったためそれを隠すためである。 また、初期のフォームは、モールドの幅が狭かったために、細いブランクスしか出来なかった、それを幅を持たせるために、中央に、太目のストリンガーを入れたりもした。当時、HOBIEで標準だった2インチバルサのストリンガーは強度を出すための物でもあったが、実は幅が足りないので2インチワイドにする発想からだったようだ。 |
|
クラークフォーム社誕生
HOBIEは他のシェイパーから一目置かれ常に競い合っていた。そのため、シェイパー達は、HOBIEからフォームを買おうとしなかった。
そこでHOBIEとゴードンは考えた。フォームはフォームで会社を分けよう、と。
そしてHOBIEはボードメーカー、ゴードンクラークはフォームメーカーになっていたのである。そうすることによって、フォームが売れ、大量生産できるのでHOBIE自身のコストも下げることが出来た。これが、クラークフォームの始まりである。そしてその後47年もの間、クラークフォームは市場を独占するマンモスカンパニーになるも、2005年12月、突然の廃業宣言、業界を震撼させた。
理由は、フォーム製造過程に出る有害物質による環境問題といわれているが、真相はいまだに明らかにされていない。半世紀もの間、市場を独占した者にしか分からない何かが有ったのだろう、ゴードンクラークとHOBIE
ALTERはそのときも、理解しあえたに違いない |