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#1 HOBIE SURFBOARDS 創立者 HOBIE ALTER
HOBIE SURFBOARDいや、サーフィン業界の幕開け〜南CA初のショップ |
近代サーフィン史の幕開けの予感
HOBIE ALTERが、サーフボードをはじめて削ったのは1950年のこと。まだ16歳だった彼は、ウォルター・ホフマンの波乗り姿を見て衝撃的な印象を受け、彼が持っていたボブ・シモンズのボードを真似て、自分でボード削ってみた。はじめはまず自分用と友人用にバルサでシェイプしてみた。出来は上出来だった・・・と、彼自身は言っている。 そんな彼らがサーフィンをしている姿を見て、サーフィンとは何なのか、彼らは何をしているのか、全く知らないハイスクールの仲間たちはサーフィンに興味を持ち、そろってHOBIE ALTERにボードシェイプを依頼するようになった。約20本のボードがこのときに作られた。 これがHOBIE SURFBOARD いや、サーフィン業界の幕開けである |
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仕事にしてしまったら?
1953年ハイスクール卒業の年のある日、ボードを削るHOBIE ALTER を見ていた父は、
「どうせなら、それを仕事にしてしまったらどうだ?」と息子に言った。実は、父はサーフィンのことなど、まったく知らないオレンジ農家のオヤジなのだが・・・
その気になったHOBIEは友人のWoody Brown、Wally Froiseth、George Downingとともにハワイへ旅立った。このときの経験は彼の将来を決定付ける物となった。オアフのマカハでサーフィンに関するすべての経験し、この時彼は、サーフボードメイキングを本気で仕事にしようと思ったのである。
その年に彼はカリフォルニアのラグーナビーチへ戻り、本格的に、ボードメイキングをビジネスとして立ち上げた。彼の削るボードのうわさは口伝えに広まりこのラグーナビーチのガレージでは99本が削られた。 |
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南CA初のショップ1954
その気になったHOBIEはひたすら自宅のガレージ゙でシェイプしていたためガレージはバルサの削りかすの山になり、また樹脂でべとべとになってしまった。すると父はたまらず思った。
「いい加減に出て行ってくれ」・・・。
そして息子は工場件ショップを開こうと計画を始めた。
翌1954年、カリフォルニア、ダナ・ポイントのパシフィック・コースト・ハイウエイ 1号線沿い、ドヒニービーチパーク入り口の交差点から、ラグナビーチへと向かう緩やかな坂の途中、PCH(ダナポイント・パシフィックコースト・ハイウェイ)34195番地にカリフォルニアで初のサーフショップをオープンしたのである。
当初はラグーナビーチで土地を探したがあまりにも金額が高かったため少し外れたダナポイントにしたそうである。今となっては、ダナポイントもぜんぜんはずれという感じではないが・・・周りのみんなはサーフショップなんて開いてどうすんの?と笑っていたそうである。
ところが、この場所はサーフショップには最高の場所だった。ロス方面からサンオノフレやドヒニーに向かうサーファーはこのショップの前を通らずにはいけなかったのだ。これは広告塔として非常に効果があった。
なにせ当時、この近辺には何も無く、他に不動産屋と、スーパーマーケットの2つの建物しか無かったのでHOBIE
SURFSHOPは非常に目立ったのである。
ところでHOBIEは弱冠20歳でこの土地を買ったと言っているが、いったいどうやって・・・
どうやら、父親と祖父に借金をしたそうである。なんと土地が1500ドル、その他の投資は12000ドルだったそうだ。当時のレートと物価で考えると安いのか、高いのか?
バルサボードの100本目から1580本目までのバルサボードはこのダナポイントで削られた。
バルサボードはこの1580本で終了である。この後はいわずと知れたフォームボードだ。
何故こんなにはっきりした数字が残っているかというと、全てのバルサボードには、作られた順に黒インクでナンバーがスタンプされていたからだ。なんとも几帳面なところが出ている。
このバルサボードのうちHOBIE ALTER 本人が削ったのは1578本で、残りの2本は、レイノルズイエーターとフィルエドワーズが削ったものだそうだ。もし周りの倉庫やガレージに長い間置かれたままになっているボードがあったら
ぜひ1度 デッキを確認してほしい。 |